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バネブログ

ばねの歴史(後編)

先日の3月3日がフック没後320年の節目ということもあり、前回のブログでは、太古の時代から「フックの法則」が発表された17世紀までを書きました。
今回はそれ以降の時代、ばねの製造技術が飛躍的に進歩した産業革命以降のお話になります。

フックの顕微鏡(『顕微鏡図譜』にある版画)
フックの顕微鏡(『顕微鏡図譜』にある版画)

日本初のばねメーカー誕生

ばねは長い間、ぜんまいや錠前、また、馬車に付いているサスペンションなどに使用されてきました。しかし、ここでばねの使用箇所に大きな転換点が訪れます。自動車の発明です。1883年にダイムラーによって発明されたガソリンエンジンに、弁ばねが使用されていました。同じ時期に世界最古のコイリングマシンも開発されるなど、自動車は現在でもばねの主な使用箇所となっています。
また驚くべきことに、この時代のばねの製造技術は、現在使われている旋盤式コイリングマシンとほとんど遜色ない構造だったとされているなど、産業革命はばねの製造技術を飛躍的に進歩させるきっかけとなったのでした。

産業革命から最初のコイリングマシン

錦絵に描かれた開業当初の鉄道(横浜)
錦絵に描かれた開業当初の鉄道(横浜) Wikipediaより

時は流れ1904年、日本で最初のばね製造会社、東京スプリング製作所が設立されました。当初は紡績用高級ばねの製造を目的として運営されていました。しかし1872年に鉄道が開通され、第一次世界大戦勃発後、蒸気機関車が国産化されると、同社が機関車に使用するばねの製造を担うことになりました。

昭和に入ると生活日用品にも多くばねが使用されていくことになります。大正時代以降急速に普及していった自転車、時計、ミシン、秤、蓄音機などです。西洋化された生活日用品の普及に伴い、ばねもより身近なものになっていき、人々の生活に必要不可欠なものになっていきました。
また、その後戦時下においては国内工業の軍事化が進みました。航空機、戦艦、戦車、軍用自動車、大砲、小砲、機関銃など、いずれにもばねが欠かせませんでした。戦時下でのばね生産量増加に伴い、それまで欧米からの輸入に依存していたばね用鋼材の国産化が進みました。

日本の復興とばねの発展

戦後、GHQからの生産制限が解除されると自動車生産が再開されました。近年の自動車にはシートのクッションばね、クラッチに使われるコイルばね、ペダルの戻しに使われる戻しばねなど約5000個ものばねが使用されていると言われています。自動車生産の急速な拡大により、ばね工業も飛躍的に成長していきました。鉄道においても重ね板ばね、熱間成形コイルばね、トーションバーなど台車用のばねが多く使用されました。鉄道は戦後立ち上がりが早く、復興に大きな役割を果たしました。

1952年には現在のNTTとなる日本電信電話公社が発足、電話の普及を図りました。電話通信の基礎となるのが交換設備であり、これにはばねが使用されました。また神武景気に入った1950年代後半には、三種の神器(洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫)、1960年代半ばのいざなぎ景気時代には新三種の神器(自動車、クーラー、カラーテレビ)が喧伝されたことで、それらの重要な部品としてばねが使用されていたこともあり、ばね工業の発展もたらすものとなりました。

ばねの現在、そして未来への飛躍

1980年代に入るとパーソナルコンピューターが登場し、電気回路の開閉に作用する接点ばねや、キーボードやマウス、各種ケーブルの接点には薄板ばねが使用されるようになりました。
また、現在では家電、カーナビ、ゲーム機、液晶テレビのハードディスクドライブに支持ばねが使用されています。ばねは現在のインフラともなっているIT業界でも活躍しています。

ばねの活躍は情報通信機器の分野にとどまらず、宇宙開発にも貢献しています。1982年、スペースシャトル「コロンビア」が、通信衛星を宇宙空間に打ち出し、静止軌道上に載せるという人類初の試みを行いました。この通信衛星を宇宙空間にはじき出したのは6個のばねでした。現在もロケットなどに多くのばねが使用されており、宇宙空間でも活躍しています。

このように、人類、そして日本の発展は「ばね」とともにあった、と言っても過言ではないでしょう。

私たち光洋が作っているばねも目立った場所ではありませんが、街中のいたるところに入っています。光洋は創業50余年、ばねの世界ではまだまだ若輩者と言えるかもしれませんが、これからも街を支え、安心をつなぐことでばねとともに飛躍してまいります。