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バネブログ

光洋のある東大阪とは

モノづくりの町東大阪

奈良県との県境に位置する東大阪。ラグビーワールドカップが開催された花園ラグビー場がある都市として有名です。

しかし、東大阪が誇るものはそれだけではありません。東大阪は技術力の高い中小企業が多く集まる “モノづくりのまち”です。以前に町工場の奮闘を描いた人気ドラマ『下町ロケット』では、東大阪内の工場で製造された製品が撮影に使用され、話題を呼びました。市役所ではドラマの企画展示も行われ、モノづくりの町東大阪市のブランド力向上に一躍買ったそうです。

東大阪市内の製造事業者数は5,954事業所(H28年調べ)で全国5位の数を誇ります。4位以上の都市は大阪市、名古屋市、京都市、横浜市とすべて政令指定都市で、政令指定都市を除けばトップの数字となります。また、東大阪市内の製造業の事業者密度は1キロ平米あたり115.2(H28年調べ)と全国1位で2位の大阪市73.6に大差をつけています。それだけ東大阪に製造業の事業者が多いことを数字が物語っています。

業種別事業所数に於いては、金属製品が26%、生産用機械器具が14%、プラスチック製品が11%と、この3つだけで半数を占めています。特に多い金属製品には、ネジ、バネ、ダイカスト、板金等様々な部品があります。

これらの部品は東京スカイツリーをはじめ、新幹線や航空機など高い品質が求められる箇所に使用されます。その他、有害紫外線から目を保護する強固で安全なスポーツ用サングラス、くもり止め効果の高いスイミングゴーグル、軽量かつ高剛性を実現した自転車用ヘルメットなど、オリンピックで使用されるような物も多く製造されているのですが、それだけに留まらず、東大阪の中小企業が協力し合い、人工衛星「まいど1号」の打ち上げに成功しました。東大阪の製品は、日本はもちろん、国境を超え、宇宙空間でも活躍しているのです。

モノづくりの町東大阪の歴史

歴史的に見ても東大阪は、鋳物工業・伸線工業・木綿工業が盛んでした。それぞれについて歴史を振り返ってみましょう。

・鋳物工業

東大阪の鋳物工業は、日本の鋳物工業のルーツである河内丹南(南河内)地方から、江戸時代ごろに伝わってきました。昭和初期頃までは鉄瓶や鍋、釜の製造が盛んでした。   

戦後復興の中で、地域のミシン産業が急激に発展し、部品として鋳物がつかわれるようになりました。その後電機機器、産業機械、自動車、造船業などの発展にともない、これらの分野で使われる部品を製造するようになりました。

・伸線工業

東大阪は伸線の町としても有名で、江戸時代に東大阪の商人が、京都でかんざしに使う銅の線材を人力によって伸線をしたことが始まりです。
それ以前から生駒山麓の急流を利用した水車工業も盛んであったことから、明治時代には水車による伸線工場が枚方地区に集中して立地するようになりました。すると安くて用途の広い鉄線が普及、釘の国産化がなされるようになり、針金、金網、縫い針など鉄線の用途が次々に増え、それらの製造業も付近に集まるようになったのです。

その後、電力化、幹線道路の発達に伴い物流面でも有利となり、一時期はなんと全国シェアの40%に達しました。伸線工業は単に針金としての需要だけではなく、釘、金網、ボルト、ナットなど裾野の広い産業であり、東大阪市域における線材製品の加工産業の発達も促しました。

・木綿産業

江戸時代に、大和川の付替え工事で誕生した広大な埋立地が綿作農業に利用されるようになったことから、古くから東大阪は木綿の町として発展していました。しかし近代に入り木綿の関税撤廃などの影響から東大阪の木綿産業は急激に衰退します。木綿産業に従事していた人々は木綿用の機械を用いて撚糸業やタオル製造業への転身や、歯ブラシの植毛やボタンの穴あけ業を行う様になりました。
皮肉なことに、木綿産業が衰退した結果、歯ブラシやボタン工業に従事する人や新しい技術を修得する人が現れ、さまざまな産業の発展につながったのです。


このように、もともと盛んであった「鋳物工業」「伸線工業」「木綿産業」から派生しながら、様々な”モノづくり”が盛んになることで、多種多様な技術を持つ企業が生まれ、「なんでもつくれる」「なんでもそろう」現在の東大阪になりました。

東大阪モノづくり企業の特徴

東大阪には多くの企業がありますが、その多くは従業員20名未満の企業です。

ですが「チャレンジ精神」旺盛な企業が多く、大企業が避けるような仕事についても果敢に挑戦し、解決してきました。

東大阪の企業ネットワークは「横のつながり」が強いという特徴があります。他都市では、少数の大企業が多くの系列会社を抱える「縦のつながり」が強いのが一般的です。

一方東大阪では大企業との系列は持たず、個々の企業同士が協力会社として助け合う構造がほとんどで、それぞれが客先、仕入先両方の顔を持っています。例え自社だけでは難しい仕事であっても、協力することでお互いの足りない部分を補い合い、様々な製品を作り上げているのです。

このように、光洋のある東大阪のモノづくり企業は、互いに支え合う仲間であり、高め合うライバルでもあります。
地域内でのそのような関係性が、チャレンジ精神にあふれる町を作りあげ、日本の国際競争力を支える礎となっています。